子どもを見るって?
私が考える「子どもを見る」の意味は、お子さんの言動には必ず意味があるので、その言動から読み取れるメッセージを受け取ることだと思います。
お子さんの興味に合わせてなどというと、その対象がキャラクターだったり、モノ・おもちゃの範囲で考えられる方が多いような気がします。
しかしそういった表面的なモノだけでなく、子どもが生活の中で夢中になっている瞬間というのはたくさんあります。
子どもが夢中になる瞬間
たとえば子どもが小さい頃、外を歩いていると必ず石を穴に落としていました。それは落とすということに夢中になっていた時期だったからです。
またお水を飲んでいるとき、近くにあった空のコップにお水をうつしかえ、それをまた自分のコップにうつしかえということを繰り返す時期がありました。これはあけ移すということに夢中になっていたからだと思います。
石を落とすのも親は「もうやめなさい!早く行くよ!」と言いたくなることかもしれません。お水をうつすのも「お水をこぼすからやめて!」と怒りたくなることかもしれません。
でも親が、子どもはいたずらばかりする・親を困らせることばかりするという既成概念を捨てて、子どもから出てきた表現をありのまま見つめて、それを受け止めてみると今まで気づかなかったことに色々と気づかされると思います。
私はそれを知ってから、子どもが夢中になっている瞬間を見つけたり、キラキラした顔を見るのがとても好きで、それまでちゃんとしつけをしなくてはと肩肘をはっていた子育てが、すごく楽しくなりました。
子どもから出てくるものはすごく小さい表現かもしれません。また大人にとって好ましい表現ではないかもしれません。
でもその表現をそのまま受け止めて、言動の意味を考えて、その子にとって必要な環境・サポートを考えることが大切だと思います。
親も人間ですので間違えずに完璧にできるわけがありません。私も失敗の連続でした。でも、この子どもを見るということを軸にしていると、それも経験と受け止めて、親も人として成長させてもらえていると感じています。
それは、おうち英語においてはもちろんのこと、子どもの成長のすべてにおいて、可能性を広げていくと思います。お子さんの表面ではなく、内から出るメッセージを拾ってみてくださいね。
子どもが笑顔になる方法探し
客観的に自分がやってきたことを振り返ってみると、それはずっと子どもが笑顔になる方法探しだったような気がします。
たとえば、上の子はすでにあるものからイメージを膨らませて遊ぶことが得意でしたが、何かを作りだすということは苦手な子でした。粘土遊びをはじめても毎回同じものしか作れなかったり、何を作るか浮かばずにやめてしまったりというかんじでした。
この子がもっと楽しくなれるにはどうしたらいいかなと考えて、粘土と大好きなごっこ遊びを組み合わせてお店屋さんごっこをしてみると、りんごも作らなきゃ、カボチャも作らなくちゃと次々アイデアが出てきて、出来上がったものでお店屋さんになりきって渡してくれて、キラキラの笑顔をみせてくれるのがすごくうれしかったです。
下の子は自分の頭の中にすでに作りたいもののイメージができていて、それを工作や粘土などで形にするのが好きな子でした。作っているときはものすごく集中していて、そのイメージが消えてしまわないようにこちらも静かに見守っていました。
できあがると「できたよ!これで遊ぼう」と必ず言ってくれました。ただ具体的にどうやって遊ぶかというイメージはわかない子だったので、いつも期待しているsillyな展開になる遊びをしてたくさん笑っていました。
こういう遊びの中でさりげなく英語もいれて、英語でも日本語でも親子のコミュニケーションを楽しんでいたような気がします。
子ども一人一人の性格、得意なことや苦手なことなどみんな違って当たり前です。
その子自身を見つめたうえで、笑顔になれる方法を考えていたのかなと思います。
そして子どもの笑顔で自分自身も笑顔にさせてもらっていました。
「育児の中に英語があるだけ」
今回この記事を書きながら、この時の事を思い出し、また今の子育てを見つめなおすきっかけになりました。育児はいつも悩んだり迷ったりの繰り返しですが、親子が笑顔でいられること。これをやっぱり大事にしていきたいなと改めて感じました。