先日、支援学級に通う息子の一つの選択肢としてある、とある3つの高校合同説明会があったので、行ってきました。
==【お知らせ】==
※「マティアス家と遊ぼう」「お泊りde英語漬け」のお申し込みは、2018/6/7(木)午後8時スタートです。(SG会員は2018/6/4(月)午後8時の先行予約です。)
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今回、説明があった3つの高校は、普通学級ではなく、支援学級に入っている生徒が対象だけど、試験などがあり、比較的軽度な生徒対象って感じかな?
案外、競争率も高く、希望すればほぼ入れる・・・とかではないらしい。
で、説明を聞いたのですが。。。。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
なんだろ、この言葉にしにくい(いや、ブログとかでは明言しにくいというべきか(笑))モヤモヤ。
そりゃね、「安定した仕事を持つ」ってすごく大事。
「特性に合わせた」仕事も、もちろん大事。
そのレールを敷いてあげるのも、大事な部分もあると思う。
そう。それはわかってる。
それができなければ、生活自体が回らなくて、結局、好きな事もできない状態になるかもしれないし。
でも、そのレールが、必ず幸せにつながるというわけでもない。
私が素直じゃないだけなのかもしれないけど、そのレールの先が幸せというものなんだよと押し付けられているような感じに受け取れてしまって、正直、すごく違和感を感じてしまった。
その人それぞれの「幸せ」って、人からみたら全く理解できない部分にあるかもしれないし、「人が思う幸せ」を持てる事が必ずしもその人の幸せだとは思わない。
私は、息子がレールのある先にあるものを幸せだと本当に思えるならばそこでいいけれど、それが「支援が必要な人たち」がもてる中で一番の幸せだと思わなくてはならないものなのであれば、違う道を行くべきだと思う。
というか、違う道を作ってみせる。
その道を進んでいくのは本人だけし、ちょっと険しいところでも進んでいける経験・知識・体力をつける事も大事。
自分でガンガン進んでいくのを、太陽のように見守るだけで強く行ける子もいると思う。
でも、こっそり「こっちだよ」って看板たてたり、草を抜いて踏みならしてあげたりしてもいいよね?
いつまでも親がそうしてあげられるわけじゃないけど、もうちょっと道の先にあるものが見えるようになるまで。
説明会で感じた違和感は、やっぱり、子どもたちが進んでいく道が、子どもたちそれぞれの幸せへと続くようにサポートしないといけないなって再認識させてくれた気がします。