遊び続けられない子ども達

最近、ただ、遊び続けることができない子ども達が多いような気がして、気になる。

 

 

あと、「何もない=退屈」ってなってしまう子ども達も、結構気になる。

うちの車は、DVDやテレビを見ることができない仕様なんですよね。

 

 

なので、車に乗ったら、ちょっとそこまでの買い物でも、何時間ものる長距離ドライブであっても、CDを聴くしかできない。

 

 

あとはこういうのをしたり。

レベルが低すぎる・・・・・・

 

 

この間、友だちから聞いた話。

「お友達の子をうちの車に乗せたんだけどさ~。

そのおうちは、車にのったらDVDを見るのが当たり前で。

でも、うちの車にはDVDがないから、

『いつ着くの?ヒマですることない』って連発するのよ。

『することないって!窓の外でも眺めてたらええやろ!!』って言ったけど。」

 

 

またあるときに聞いた話。

「この間、長男のお友達(幼稚園児)を一緒に公園連れて行ったのね。

普段は、その子たち公園にもDSとか持っていくみたいで。

ちょちょっと遊んだら、

『もう家に帰ろう。もう遊んだから、することない。』っていうのよ。

『子どもが公園ですることないとか、どういうことやねん!

なんでも遊びになるがな!!』って言ったけど。」

 

 

<子どもが自分自身で「なにもない時」を作らないパターン>

(もちろん、そういうものが周りにある環境を作っているのは親なんですけど)

ちょっと手持ち無沙汰になると、スマホをみる。

ちょっとヒマになると、DSとかする。

ちょっとすることなかったら、動画をみる。

 

今は、思い立ったらすぐに好きなものができて、しかも、どこへでも手軽に持ち運べるデバイスがいっぱい。

そりゃ、楽しいでしょうね。

もちろん、うまく使えばとっても便利なのは間違いない。

でもさー、それらがなんにもない時、どうやって過ごすのかわからなくなるようなのは問題じゃないか??

 

 

<もしくは、親が子どもをヒマにしないパターン>

勉強・英語のための動画・アプリ・ワーク。

多読に、実験教室に、無料体験に、イベントに、無料体験に、イベントに、無料体験に、イベントに。

これを覚えてほしいから、このワーク。

これを学んでほしいから、このおもちゃ。

これに興味もってほしいから、この動画。

 

もう、息つく暇がないww

 

もちろん、そういうのもあっていいんですよ。

 

でも、それらがなーーーーんにもない日。

 

なにする?

 

 

私は、かなり頭の中はずっといろんな事をめまぐるしく考えている方だと思いますが・・・・

 

それでも、何もない時、公園のベンチで、ごろんと横になって、ボー――っと雲が動くのを見るのが好き。

 

電車の中で、ボー――っと人の観察するのも好き。

 

あーーんなコトや、こーーーんなコトを妄想するのもすき(笑)

 

もちろん、料理したり、ゲームしたり、おしゃべりしたり、いろんなことするけど、「なにもない=退屈」って、正反対だと思う。

 

 

なにもないからこそ、なんでもできるんじゃん!

 

 

与えられたものがないと、ヒマ~って言うのは、かなり危険なサインだと思うんですけどね・・・。

 

何もない所から、考えだし、創り出す力がなかったら、それこそ、AIでまかなえるんじゃないかと思う。

 

 

 

もちろん、いろんな体験・経験があればあるほど、「なにもない時間」にいろいろ考えたり、創り出したりできるんだと思うから、そういうのをしたり、行ったりすることがダメなわけじゃないし、大切にするべきだと思う。

 

 

 

でも・・・・

私は、そうじゃない「なにもない時間」も、同じように大切にしたいなと思います。

 

 

 

DSやスマホがなくても、親が「しょーもない遊びやな~」と思うようなものでも、どんどん遊びをつくりだして、「えーーーー、もっと公園で遊んでいたい!」って思える子になってほしいな~。

 

 

そういう経験が、サバイバル力というか、生きていく力をつけると、私は思うから。

 

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