私がアメリカに住んでいたのって何年前だったっけ??
え、かれこれ、15年前!?
時が経つのは早すぎる…
その頃、ようやくインターネットが発達し始めて、Eメールは普及してたかな?
でも、我が家にはパソコンがなかったんです。
日本に住む親や友達との連絡手段といえば、国際電話かエアメール。
そう、あの白い封筒の周りに赤と青の模様がついてる封筒のエアメールね(笑)
たまーに届くエアメールや、日本からの差し入れが本当に嬉しかったなぁ。
普段、手に入らない日本の雑誌やお菓子をたまに小包で親が送ってくれたんですよね。
一箱のポッキーを大事に食べたなぁ。
貴重なポッキーをダンナにもあげたら、「ま、普通においしいね」とか言うから、「ありがたく食べられないなら、もう食べるな!!!!」と貴重なポッキーはあげないことにしたっけ。
送られてきた雑誌を幾度となく読み返したなぁ。
日本語の活字を見ることがなさすぎて、日本語に飢えてた私・・・・(笑)
親に国際電話をしても、普段、その時以外に日本語を話すことがなさすぎて、日本語の単語がすぐ出てこないこともあったくらい。
特に簡単な単語ほど出ないんですよ。
どちらもペラペラ話せるのに瞬時に必要な方を出す通訳の方って、ほんとにすごいと思う。
どこかに行く時は、本屋で買った、大きい地図帳を片手に運転して、わからなくなったら、めぼしい店に寄って道順を聞いたり。
初めての育児に奮闘しながら、授乳がうまくいかなくても、次の検診までどこの誰に相談していいかわからず。
長女が赤ちゃんだったころの写真を、今見返したら、明らかに黄疸でまくり(笑)
私は乳腺炎で高熱を出してました。
でもねーー、そんなの全くわからなかったんですよ。
普通より黄色いなんて。
そんな色の子だと思ってた。
私の高熱も、風邪ひいて熱が出たと思ってた。
だから、検診の時に、質問さえしなかった。
それに、検診の時に何か聞こうと思っても、単語もよくわからないし、そういう妊娠、出産、育児に関するコア(?)な単語って、普通の和英辞典にはあんまり載ってない。
毎日の生活の中で、日本語の割合は5パーセント未満くらいだったかも。
夢ももちろん英語だったなー。
今なら、アメリカに住んでいても、パソコンやスマホですぐに日本語で書かれたサイトで、いろんな情報が読めるんだろうなぁ。
日本の本や漫画や雑誌を読みたければ、キンドルやらをポチればすぐには読めるんだろうなぁ。
育児で困ったことがあったら、検索すればすぐ答えがわかるんだろうなぁ。
どこかに行く時、グーグルマップ見ながら1人で行けるんだろうなぁ。
近くに住んでる、育児中の日本人ママや、プレイグループを検索したり、コミュニティを探しやすいんだろうなぁ。
日本の友達と、LINEやFacebookやらで、常に日本語でやり取り楽しめるんだろうなぁ。
日本のもので、欲しいものがあれば、アマゾンジャパンでポチれば買えるんだろうなぁ。
みたい日本のテレビや動画があれば、ネットですぐにみられるんだろうなぁ。
日本に住む親と話したければ、スカイプで無料でいくらでも顔を見ながら話せるし、孫も見せられるんだろうなぁ。
私がアメリカにいた頃は、そんなの全くなかった。
でも、それでよかったのかもしれない。
経験してきたこと、感じてきたこと、そして、そこで培った英語力がなければ、きっと、今の私はない。
今、留学したって、よほど強い意志がないと、私が置かれていたような、日本語完全シャットアウトな生活環境にするのは、なかなか難しいかも。
逆に、日本にいたって、海外に住む友達や先生と英語で話したり、英語のものが読めたり買えたりできてしまう時代。
英語力は留学なんか行かなくても、おうち英語で十分身につくし、アウトプットの方法も山ほどある。
なんかうまく言えないけど…
すぐに「留学」「親子留学」とか言うけど、その意義ってなんなんだろう。
海外でしか学べない事って何なんだろう。
海外にいって、「何をどう学ぶのか」ってところが、昔とはずいぶん変わってきてるのかも・・・・??